以前、映画を観て、原作の方も読んでみようと思って読み始めたのがGW明けくらい。
ようやく……ようやく読み終わりました。
読書の時間は通勤中くらいしかとらないのと、その時間ですらスマホゲームに使ってしまっていたので、読書所要期間が長引いてしまいました。
しかし、そんなことよりも……文字量が半端なかった。
文庫本550ページくらいなので、長くても1週間以内には読み終わるかと思いきや……
まず、文字サイズが小さい!
通常規格がどれくらいの大きさかは知らないけれど、通常出回っている文字サイズよりも一回り小さい。
暗いバス内だと、判読するのに苦労するくらい小さい。
そんなの、古本屋で適当な本買うから悪いんだろ。
ハードカバー買えよ。
と、お思いかもしれないが、通勤中に読むには文庫本が良いのだ。
ただでさえ荷物が多くなりがちなのに、ハードカバーの本なんかバッグに入れたら、私の肩が来年あたりに崩壊する。
読みづらい理由は、文字サイズだけではない。
改行がほとんどないのだ。
細かい文字がギッシリ状態。
ページ数がたくさんあっても、京極先生の本が、いかに読みやすいことか!
そんな苦労を乗り越えて得た、原作感想。
物語は全て、誰かしらの日記や手紙から成る構成となっている。
ドラキュラ城へ旅立ったジョナサンの日記から始まり、ジョナサンの婚約者ミナの日記――それ以降は物語の主軸となる人物たちの日記や手紙がうまい具合に交ざりあっていく。
登場人物全員で示し合わせたかのように、前の日記の続きくらいの時系列で次の人の日記が始まるので、物語の進み方がごちゃごちゃになるようなことはなく、普通の物語を読んでいるのと同じような読み進み方。
中盤くらいで、登場人物たちが事件の核心に近付き集結した時、各々がこれまで経験した内容をまた一から説明されてはたまったものじゃないとゲンナリしかけたのだが、
ミナ「私が説明するよりも、みなさんに日記を読んでいただいた方が、よりわかりやすいんじゃないかと思って……タイプライターで打ってきましたの」
と、ミナのファインプレーにより、これまでに読者が読み進めた情報を、登場人物たちもすぐに共有する事ができた。
ヴァン・ヘルシング教授も称賛していたが、本当にありがたい。
で、気になる結末なのだけれど……
小学生の頃に読んだ児童向けの『吸血鬼ドラキュラ』(原作は同じくブラム・ストーカー)とも、映画の結末とも、「吸血鬼モノのラストって、だいたいこんな感じだよね?」って何となく思い浮かぶようなクライマックスではなく……
何だろう……これまでに見聞きしたことのないようなクライマックスシーンだった。
もちろん、吸血鬼は退治しちゃうのだけれど。
原作に忠実に映像化するには、全然絵にならない微妙なクライマックスだった。
ラストバトルよりも、そこに至るまでの道中の方がドキドキしたし、中ボス戦の方が盛り上がっていたんじゃないかというほど、早かった。拍子抜けだった。
FFⅦの、ほんとにほんとの最終戦のVSセフィロスみたいな感じ。
……いや、セフィロスの方がまだ動きがあったし、面白い格好をしていただけ良いか。
まあ、人間風情が、日没後の吸血鬼と対等に渡り合えるわけがないので、あのような倒し方で十分なのだろうけれど、場所がなぁ……。
もう少し先に進んだ場所とか、絵になる所だったら良かったのに。
ヴァン・ヘルシング教授は、映画のような無能っぷりは無く、いたって優秀な面倒臭そうなじーさん理屈っぽい紳士でした。
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